2008年8月 2日 (土)

聞き初め

夕方、組合で屯していた時、今季初めてツクツクホーシの楽しげな声を聞いた。

これまでのところ今年は去年の夏よりなんとなくしのぎ易くて、ついうかうかしていたのだが、気が付いてみればもう8月なのだ。

|

2008年3月11日 (火)

スーギ氏

15キロほど川下にあるアメダス観測点の気温データをみると、今日14時には19.7℃。
見渡す山々にはうすぼんやりと春霞がかかり湿度もかなりあった様子。
辺りのスギはすっかり枝を黄色くして、完全に発情モード。
こりゃ花粉が相当飛んでるだろうなと思うのだが、幸い目も鼻も何ともない。
とりあえず今年もスギ花粉は無事クリアしたようなので、ひとまず安心だが、去年のちょっとした経験から、ぼくの場合アレルギー出るとすればスギよりヒノキなのではないかと勘ぐっているので、まだ油断はできない。

ちなみに、スギとヒノキはしばしば一括りにして扱われてるし、立ち木をみてそれぞれ識別できない人も意外に多いのじゃないかと思うが、実は結構、というか葉や幹ぶりの見た目も、材の質も匂いも全然違う。
だから、ちょっと見慣れれば遠目に見ただけでその山にスギとヒノキのどちらが植えられてるのか、すぐわかる。
その辺の話はまた今度。

|

2008年3月 9日 (日)

植樹イヴェント

今日は、先日から「地拵え→ネット張り」に大わらわだったヒガシタニで植栽のイベント。
ということ出勤。そういや、ここんとこ日曜に休んだことがないなw
朝から苗木やクワなどの道具を現地へ運ぶ。

来ているのはどこぞの自然保護ヴォランティア団体らしい。総勢16名様。
10時頃からぼちぼちと始め、途中、伊予柑が配られてのんびり座り込む休憩を挟みつつ、昼過ぎに記念の標柱を立てて作業は終了。その後、村中心部の観光施設?に移動してトンカツ定食で昼飯。この事業には「森林保護」名目の税金やら、企業からの献金が結構注ぎ込まれてるらしいんだが、この飯もそっから出てるんだろな。

それでも6段ほどの植栽地にクヌギとヤマザクラが計800本植わったのだが、たった6段つったら10数町あるこの伐採跡の禿げ山にとっちゃ何分の一よ?

しかも・・・、ちゃんと植わってねえっすよ orz
根っこ浮きまくり。
これじゃ苗木としても生きてくのが辛いよ。
ただでさえ石ゴロゴロで急傾斜なこの場所。
クヌギとかの穏やかな地面が好きな広葉樹には厳しい環境なんだから、せめてしっかり地面を掘って放り込んでやろうよ。
やつらも生あるものとして精一杯生きようとしてるんだから、その命を尊重してやろうよ。
まあ、地面が固くて小さいクワではなかなかしっかり掘れないのはわかるけどさ。

|

2008年3月 5日 (水)

防人フェンス

組合仕事で、「ヒガシタニ」というところの植栽予定地の周囲にフェンスを張りに行きはじめた。せっかく苗を植えたところに、シカだのイノシシ・ウサギがひょいひょいとやって来て、美味しくいただかれてしまわないようにする「防獣フェンス」である。

で、本題。
このヒガシタニというところは、うちの村では今やちょっと珍しい「皆伐」跡地である。スギ・ヒノキが植えてあったのを何年か前に全部伐り出して素っ裸にしてしまった状態なのだ。
元から岩ゴロゴロな山だったらしいのだが、禿げ山になって表土が流出したのもあって、かなり殺伐とした風景。
そういうところを緑の山に蘇らそうというのが今回の事業の趣旨らしいのだが、あんなところにクヌギだのサクラだのが根付くのかどうか・・・。
まあ、この事業そのものはどうでも良い話なので、脇におく。

こういう伐採や、山土崩壊・山火事で植生が大きく攪乱された後の、植物にとって落ち着きにくい荒れ地(舗装道路沿いなんかは恒常的な荒れ地ということになる)に最初に生えてくるヤツらを先駆性の植物という。
このフロンティアたちは、他の植物が定着できないような荒れ地に取り付き、自分らの楽園を作ろうと世代を交替しながらだんだん足元が良くなってきたところで他の(より大きな背丈になる)植物に入り込まれて頭を抑えられ、結局自分らは住みづらくなってしまう、という、労多くしてなんとなく虚しい役回りを果たしている。
で、これが今日のポイントなのだが、こいつらはどういう訳かかなりの確率で強烈なトゲを備えてガッチリと武装している。

ヒガシタニは、単に伐採跡地というだけでなく特に土味の少ない岩ゴロゴロな山なので、その分植物にとってはより不快な場所。重武装したフロンティアたちにとっては格好の活躍エリア。
以前ここに測量にきた際のこと。ヒガシタニには林道が通っているのだが、その法面を山側に上がろうとすると、行く手にはまるで山への立ち入りを拒むかのように盛大なイバラの群落が。繁茂したジャケツイバラの凶悪な突撃にあって、ズボンはビリビリ・手足はトゲ刺しだらけの血まみれという酷いことになった。

ぼくにとって山の師であるS藤師は、常々「山には意思がある」と宣うのだが、この時ばかりは本当にその言葉が腑に落ちた。
山は、荒らされるとイバラのフェンスを張り巡らし、いっとき動物の立ち入りを拒む。で、草本から低木、さらに高木、と定着する植物が増え、植生が動物による攪乱に耐えられるようになってくると、「さあ、もう入ってもいいよ」とばかりにフェンスを取り払い再びその恵みを動物に分け与えるようになる。
そこで行われているのはただ光を求める植物種同士の生存競争ではあるのだが、山トータルのメカニズムとして考えてみると、思わずそんな擬人化をしてみたくなるような、精妙な仕組みなのだ。

それにしても、ジャケツイバラはなぜあんなに凶悪なのだろう?
動物を捕まえて獲って食おうというのじゃあるまいし、何もトゲに「かえし」まで付けなくても良いだろうにw


|

2008年3月 1日 (土)

サル智慧

「言われてみれば」「考えてみれば」当たり前のことながら、日々ぼんやりと生きていると気付かぬままで居ることになるような事柄というのは意外に多い。
組合で飼っているお猿ことOK氏(元班長)が極めて聴取困難な紀州言葉で語っていた「山の仕組み」の話は、ぼくにとってまさに、そんな「目からウロコ」な話だった。

まず、その辺にある「普通の山」の姿を思い浮かべていただきたい。急いで言っておくが、ここで、間違っても富士山の山容はイメージしないこと。
一般に、山というものは円満な形をしてはいない。つまり、幼稚園児が砂場で作る山、「すり鉢をひっくり返したような」形のそれではない、ということだ。だからこそ、逆にそんな形の山があると「神奈備」として崇敬の対象になってきた訳だが、それは今はどうでも良い話。
「山の形」というのは、それを模式的に表現するなら、「分厚いヒトデ」みたいなものになる。
ひとつの頂上があれば、それに向かう丘筋がいくつかあって、そのあいまには谷が深く切れ込んでいる。ヒトデで言えば触手が丘筋に当たる訳だ。
で、本題。
ザックリ言って、丘筋は岩盤質で地面が固いのだ。
それに対して、谷あいは赤土などの柔らかい地盤であることが多いのだ。
言われてみればその通り。地質はもとより植生だって違う。

考えてみれば当然のこと。
もともとは、それこそ「子どもが砂場で作るような」円満な山であったものが、岩盤で固い部分が浸食に抗して丘筋として残り、「土」質のところがえぐられ谷になり今に至っている、というだけの話。
でも、ぼんやりしていては、山の中を歩き回っていてすら気付かないこと。
実際大した話ではないし、当人にとってみれば語るに値しないようなことなのだろうが、聞く側にとっては「そうだったのか!」という驚きに満ちた話だった。

|

2007年9月20日 (木)

間伐っ!!

今日はT野川で材出し&間伐。
S翁、OK氏、FN氏、SH氏の組合専従ベテラン作業班の面々と、退職前調整期間のMB氏、KR兄とぼくの研修組。合計7名の大部隊だ。

材出しといっても、もちろん売るものではない。
今現在本職作業班が請け負っている木柵工の現場には柵と杭の材料になるような細い木が無いらしくて、そのための木をこちらの山から伐り出して運ぶのだ。
そもそもお役人がこの事業を考え出した時の目論見では、間伐施行の「ついで」にその伐り捨てる分の間伐材を使って木柵工をするということだったのだろうが、規格で柵の太さを決められている以上、林齢によっては実際こういうことが起きてくる。
事務机と山との相克がこんなところにも・・・、だな。

さて・・・
木自体は、ぼくらが林業センター研修に行ってる間、OK氏やSH氏が既に切り倒してくれている。
ごく道沿いの場所を選んで手頃な太さの木を間伐し、倒した木をそのまま下の林道に向けて放り落とすという非常に手荒で大胆な方法だが、機械には頼れないし材にも品質が求められる訳ではない以上、これが最善である。
その投げ落とされた木を、さらに引き摺り落として枝を払い玉切って、ユニックでトラックに載せる、というのが今日の「材出し」作業。
9月とは思えぬ炎天下(全員口を揃えて「今年の夏はおかしい」)、全員汗だくになって作業に取り組み、材出しは午前中で終了。

FN氏は昼で上がり。
午後からは残りの6人でその山に入って、間伐済みの道沿いより上の部分で今度は伐り捨ての間伐作業。

教科書的にいくと、木を倒す時には倒れる方向やタイミングを制御する為に、「受け口」と「追い口」つーのを切るのだが、実際の山師が間伐する時にはそんなことはしない。
立ち木に対してハスにチェンソーを入れて、そのまま伐り落とすのだ。
伐られた木は立った姿勢のまま地面に一度ドスンと落ちて、その後重心の向きによって「どちらかの方向」にふらーっと倒れていく。
この方法だと、いつ、どの方向に向けて木が倒れるか分からないので危険極まりないのだが、実際やってみると分かるように、「受け」を切っていてはヒノキの「間伐」など事実上不可能なのだな。

そもそも間伐とは、密生(密植)し過ぎた木を何割か伐ることなので、普通にやっていたらどれか1本を倒そうとすると必ず隣の木とぶつかる。
スギなら倒れてくる木の勢いに負けて枝が折れるので処理がしやすいのだが、ヒノキは枝が頑強なので切った木がもたれかかってきてもガッシリ支えてしまって倒させてくれないのだ。

そこでこの「袈裟伐り」をするのだが、やってみると確かにとにかく手っ取り早い。
「受け」を切って倒そうとした場合、木を寝かせるまでにさんざん悪戦苦闘しなければならないのだが、袈裟伐って落とした後切れ目を入れて突いて倒せば、あっという間に木が横倒しになる。
が、慣れない所為もあって、本当に恐ろしい。
一度、自分の居る側に倒れてきた時には本当にどうしようかと思った(あの程度の太さの木だったら、よほど打ちどころが悪くない限り死にはしないだろうが)。
まったく、心臓に悪いわ〜。
恐怖感のためかアドレナリン出まくり。
終了時には異様なハイテンションになっていた。

7時前にK's電気が洗濯機を届けにきた(この辺りのことは、未記入の日付の回に遡って後日)。
今回の一連のことではかなり頭にきたので、ヤケクソの7kg洗い。
とりあえず、これでようやく洗濯ができる。

洗濯機待ちをしていたため、普段と帰宅後リズムがずれたのだが、ちょうど良い機会なので久しぶりに地元の温泉に行った。
観光シーズンも終わった平日なので館内ガラガラ。半貸し切り状態。
「そういえば・・・」と思い立って温泉の調査票を確認してみると、ここのPHは「僅か」8.1。
それじゃ、とろけ具合ですさみ温泉にかなわないわな。
なんせ向こうはPH10.6。
そんな強烈なアルカリ溶液に浸かるなどというのは、もはやほとんど化学実験の領域だろ。
やはりイノブタは紀伊半島で最強なのではないだろうか。
機会があれば、是非一度試してみられることをお勧めする。

|

2007年9月16日 (日)

奥座敷と床の間

肩がいまだに痛いので、という理由をこじつけて今日は湯治ツアーへ行くことにした。
目的地は十津川と本宮。
紀伊半島の中でいうと、あのエリアは奥座敷と床の間みたいなもんだろう。

ひとまず山を越えて龍神に出る。
大拡幅されて快適ながらも面白みに欠ける国道コースではなく、県道と林道を経て龍神温泉の近くに出たのだが、今日の目当てはここではない。
慣れというのは怖いもので、「龍神村」などという、以前には神話的なあこがれの対象だった場所が、今やただ単にあちこち出かけるために何となく通過するだけのものになってしまっているのだな(笑)

龍神温泉の少し南、龍神村小又川から十津川に向かうR425の酷道区間(牛廻越)が始まるのだが、辺りを見回すとこの連休で繰り出してきた観光車がワサワサ。
あの勇名轟かすR425に紀州路に慣れない県外車が行き交ったら、不快極まりないことになりそうだということで、当初の予定を変更してR425ではなくそれより南、果無山脈の北麓を抜ける険道735(引牛越)で十津川に向かうことにした。
で、R371をさらに南に回り込み、龍神森林組合の脇から十津川に抜ける735へと入る。
この道は、免許取り立ての10年前にレンタカーで紀州を放浪中、十津川へ行こうとして深夜に入り込み、まさに死ぬ思いをした因縁の道。
が、そんな当時の印象を思い起こしつつ走ってみると、別に何てことない「普通の紀州路」だった。
ちょっとがっかり。
当時に比べればおそらく道自体も若干改良されているのだろうが、なんといっても当時は運転に慣れていなかったし、しかも真夜中だったので余計に恐ろしい印象が残ったのだろう。
それに引き換え今や、いわば「通勤」として日々険しい林道を走り回っている訳で、その違いは大きい。


ところで、この県道の途中、龍神村丹生ノ川に、廃校を改装して開かれた丹生ヤマセミ温泉館というのがある。
ちょうど良いので入ってみた。
まだ午前中だったせいか、連休の中日だというのにガラガラ。
受付で600円払って入ると、風呂場は無人。昼間だから良いようなものの照明も消えている。
「まあ、ワカヤマのサービス業だしこんなもんだろう」と思っていると、脱衣所においやんが現れて「おお、兄ちゃんすまんかったの〜」と言って、電気をつけてまわり、他にも何かスイッチを入れていった。
しばらくするとお湯の感触が変わり、温度も上がりだした。どうやらお湯の汲み上げや循環も切ってあったらしくて、最初浸かった時には普通のヌルいお湯でしかなかったのが、今は明らかにアルカリ泉だ(笑)
ことほど左様にアットホームなワカヤマ的観光施設なのだが、谷あいの露天風呂はなかなかいい感じで、アルカリ泉のお湯もぼく好み。一大観光地の龍神温泉よりもこっちの方が好印象だ。また折りをみて浸かりに来たいと思う。

ヤマセミ館を後にして、小雨降る中急峻な山道を走ること約1時間半、「奥座敷」十津川に着いたのだが・・・。

紀伊半島の各所は、99年の南紀熊野博と04年の世界遺産指定で格段に観光開発が進み、急激にその「秘境」性を失ってしまったのではないだろうか、という気がする。この十津川にも学生時代に2度ほど来たことがあるのだが、その頃に比べてやはり随分と「ひらけた」印象だ。
新しいR168が十津川(河川の)の上に高架で作られ始めている。いずれは新宮〜五条間全域に、このような高規格道が通ることになるのだろうか。
確かに川の蛇行に沿って山の縁をクネクネと回り込む細い旧道は走りにくくて不便なのだが、かといって、あんな巨大建造物をぶち立てるとなると周辺環境への負荷は相当に大きくなりそうなのだがな・・・。

とりあえず、蕨尾の公衆浴場に入る(やはり10年ぶり2度目)。
ここは一応アルカリ炭酸泉なのだが、紀伊半島の温泉としてはちょっと異色といえるほど硫黄分が多くてお湯が真っ白。
施設はかなり小汚くて貧相なところなのだが、熱湯の源泉かけ流し放題で、しかもぼくが入った時には客が他に誰も居らず、ある意味非常に贅沢な楽しみ方ができた。

今回十津川に行って、今ぼくらが見る十津川(河川)の風景はすべて、明治に十津川村を襲った大水害の痕であると言うことの意味が、ようやく腑に落ちた。
十津川村域では、十津川の流路としてはまだせいぜい中流域にあたる筈なのだが、河床は全て砂。
川の規模でいえば断然十津川の方が大きいので、谷の深さはそれでも物凄いが、今ぼくが住む辺りのH川中流域と比べ、河床の様相が違い過ぎる。十津川がいかに大きな河川であったとしても、中流域ではもっと鋭くV字谷が切り立って、河床には角の立った大きな岩がゴロゴロしていて然るべきなのだ。
つまり、その大水害で山が崩れゴツゴツと切り立っていた河床がすべて土砂に埋まった、その痕なのだな。今の十津川の風景は。

しばらく十津川村内をふらついた後、R168を下り「床の間」本宮へ。
本宮に着くころには既に「夜」と言うべき時間帯になっていた。
大斎原には新しい巨大鳥居が建てられライトアップされていた。昔来た時にはあんな大きなものは無かったような気がするのだが、思い違いだろうか?
境内に登って、しばらく歩き回る。
日本最古のテーマパーク「熊野三山」の人気マスコットキャラクター「八咫烏」のグッズが欲しかったのだが、社務所は既に営業終了(某鼠園のようなアフターファイブ営業はしていない)。感覚的に本宮はあまり遠くないので、またいずれ来る機会もあるだろうから、ということで本宮大社をあとにする。
川湯温泉の公衆浴場を見に行ったのだが、駐車場代が高いのでパス。今日は既に2回風呂に入ってるし、もういいや。
何となく疲れたので今日はこれで帰ろうという気分になる。
今回は紀伊半島の奥地のじっくり攻めてやろうという気分で、車中泊しつつ回ろうと車に寝袋と毛布を載せて来たのだが、体力以前に気力が尽きた感じだ。
寄る年波には勝てないな・・・ orz
天気もよくないし、と言い訳をしつつ。R311(快適過ぎて味気ない)を中辺路経由で帰還。

まあ、一応は休日を満喫できた。
この辺が連休の有り難みだ。

|

2007年9月15日 (土)

悪友と謂うべきか・・・

今日も引き続きTノ川の木柵工現場へ出向く。

午前中ヨレヨレと仕事をし、昼休憩に入って林内で駄弁っていると一天俄にかき曇り、突然の豪雨。
あわてて道具を片付け、車へ避難。
が、既にずぶ濡れ。

OK氏がしきりに「上の様子はどないや、仕事できそうか?」と訊いてくる。
この人がこう言う場合、その心は「今日はもうおこら(置く?=仕事を切り上げようよ)」ということなので、素直に「足元が悪いので無理そうですね」と言っておく。
結構ぬかるんでいたとはいえ、やってできないことはなかったのだけどね。

ともあれ、そういうことで13時過ぎに組合に帰還。
OK氏が事務所に掛け合って、ぼくらは午後を機械整備に充てるということになり、半休を逃れることができた。
チェンソーと刈り払い機を念入りに掃除し、夕方からは製材のFN氏を手伝って1日が終了。

帰宅してバタバタやっていると、昨日に続いてS藤師が来訪。
うちらの向かいのH川に埋けたカゴでモクズガニが獲れたといって持ってきてくれた。
見ると、チョボチョボと毛を生やしたファンキーなカニだ。「藻屑」という名が腑に落ちる。
紀州では、彼らが産卵のために海に下るこの季節、皆こぞってカゴを川に沈めて捕獲するという。
もともとあまり大きい生き物ではないので身は少ないが、なかなか美味なのだとか。茹でて身を啜ったり、ミソを味わう。もしくは粉々にしてそのまま味噌汁に放り込むとよいダシが出るらしい。

師にはそうとは言わなかったが、ぼくは「カニを食べること」が正直あまり好きではないし(「食べ物としてのカニ」が嫌いという訳ではない)、手で捕まえていたのがふとした拍子に地面に落ちて、必死に逃げる様がなにやら健気でもあり、そのまま逃がしてやることを提案。彼女(なのだという)はH川に帰っていった。
師にはちょっと申し訳なかったのだが、ぼくという人間が「自然」に対して振り向ける視線が、どうやらあまり「食」そのものとリンクしない、という、ぼく自身最近になって気付いたことを、明敏な師は既に理解しているような気配。

その後、コーヒーをガブガブ飲みつつ夜明け前まで長々とバカ話。
途中タバコが切れ「街」のコソビニまで買い出しにいったりして、何やら学生下宿のような気分だ。
人間的な実質も、いろんな指向性も大きく食い違う、ぼくと師の間でウマが合うとすれば、この辺の「書生じみたところ」の共通性なのだろうな。
組合のED氏は初対面の時ぼくに向かって、「自分(2人称)、S藤とは気い合いそうやな、なんか学生っぽいっちゅうんか・・・」と言っていたが、あれはED氏にしては慧眼だったと言えるだろう。

|

2007年9月12日 (水)

浜辺の昼寝

朝、目が覚めるとやたらに左肩が痛い。
肩を殺ったこないだ以来湿布ベタベタ攻撃を繰り返しているのだが、全然効かないどころか余計悪化しているような気がするぞ。
腫れてるわけではないので骨には逝ってないと思うのだが、結構直撃だったし、まさかの可能性もあるからなあ。

とりあえず仕事モードのなりで組合に顔を出す。
ホワイトボードの今日の振り分けを見ると、今日は4人の編成。1人欠けても頭数的には大丈夫そうだ。
しかも作業は間伐&筋工。
この状態では材持てませんがな。
KR兄に話して一応了解を取った上で、デロデロOK氏に申し出て休みにさせて貰った。
念のため病院に行ってみるべ。

家に戻り、ネットで「街」の病院を調べてみる。
おあつらえ向きなことに「街」には整形外科が専門の大病院があって、多くの人がしばしばお世話になっていると聞いている(あまり喜ばしいことではないのだが)。
ちなみに、この「街」は医療関係が妙に充実していて、近隣まで含めるとそこそこの規模の病院がたくさんある。
僻地に来た筈だったのだが、そういう点も含めて、結果的に、ともすれば以前より便利な生活になってしまっている(笑)

で、その K病院。
受付で労災にするのかどうか問いただされ、ちょっと困ったのだが、まあ大したことにはなってないだろうとタカをくくって(というか「大したこと」にしたくないので)自費受診で押し通すことにした。

診察開始時間からはかなり出遅れていたのだが、守備範囲が狭いからかこのK病院は意外に空いてて、10分強で診察室に呼ばれる。
豪快な風貌のヒゲドクターに状況を説明すると、「じゃ、とにかく先にレントゲン撮っときましょ」と言われ、1分で退出。
5分強待つと、レントゲン室からお呼びがかかり、角度を変えて2枚。
戻って5分強で再び診察室へ。
ヒゲドクター、レントゲン写真を見ながら、
「骨は大丈夫でしたよ、湿布が良くないということなので、塗り薬出しときますね」(そうですね、お願いします)
「痛み止め要りますか?」(いや、それは要りません)
「じゃ、お大事に〜」(ありがとうございました)
待ち時間も診察も随分短かった。

再び5分程で会計に呼ばれお金を払いつつ、脇からは流れ作業で塗り薬を渡され、すべて終了。
都合、約1時間。下手したら一日仕事になるかと思っていたのでやや拍子抜けだった。

せっかく日給棒に振って「街」に出てきたのだから、とホームセンターなどでちょこちょこ買い物をし、さらに「街」の海沿いへ。
こちらに来てから、なぜか山ではなく、海にすっかり魅惑されてしまっているのだ(笑)

既に昼も近いので、手頃な場所に車を止めて海を眺めつつ弁当を食べ、小さな灯台のある岬に登り、双眼鏡で行き交う船を眺めて小一時間。

再び下りてきて、砂ではなく丸い小石の浜辺に寝っ転がり(背中に健康サンダル状態)、携帯ラジオを聞く(APEの辞意表明で大騒ぎ)。
途中うとうとしかけたのだが、思い切り寝付くことはできなかった。
ちょうど潮が満ちてくる時間帯だったらしく、ずっと定位置にいると波が足に噛み付いてきそうで、途中何度か後退せざるをえないのだ。黒潮は好きだが、我が身を捧げるほどではないし(笑)

気がつくと日が傾き出していて、既に16時前。
散髪はまた次の機会に、ということにし、最後に食料品だけ仕入れて「村」に帰った。

作業班が帰ってきている時間を見計らって、再び組合に顔を出し、一応報告。
明日の予定を確認して帰宅。

夕飯を食べてAPEの辞意騒ぎのニュースを観ているうちに眠り込んでしまった。
この喜ばしい日に祝杯を上げられなかったことは極めて遺憾である。

|

2007年8月31日 (金)

果無山脈

今日ファミマで引き取った本。
宇江敏勝「山びとの記  〜木の国 果無山脈」(中公新書)。
S藤師に依れば、この人の著述は紀州の木こり必読らしいのだが、この本は新書版なので最もお手頃な一冊。
暇があれば読んでみよう(なぜか早くも積ん読意欲満々w)。

それにつけても、これは前々から思っているのだが、名付けるに事欠いて「果無山脈」とはなんとも凄まじい名前だ。
この現・田辺市域北東部と奈良県十津川村を隔てるエリアには、昔々レンタカーでふらついている時、真夜中に迷い込んで死ぬ思いをしたことがある。
確かに、全然名前負けしない地形だった。

こちらに来てからは、何度か近くまで行っているのだが、コアなエリアにはまだ踏み込んで居ない。
9月には2連休があるので、サンバーとともにいっちょ行ってやろう。

|

2007年8月26日 (日)

南海道漫遊

ふと和歌山へでもいってみようかと思い立って、昼前に家を出た。
旧村域を出てすぐのところから山中へ入り、隣郡へ抜ける。普段、「大動脈」に出るためには「街」へ下りるのだが、紀北へ向かうにはこの県道を通る方がだいぶ大きなショートカットになる。距離的な面だけではなく、街から「大動脈」を北に行くと、海近くを走る主要道路だというのに、隣郡との境にかなり険しい峠があるのだ。
とはいえ、この県道も当然ちょっとした峠道。
前から気になっていて今回初めて走ったのだが、これがまたとても良い感じだ。道幅はそこそこ広く走り易いのだが、折り重なる山の間をクネクネと上り下りするあの雰囲気と景色は一発で気に入ってしまった。

有田郡内では、さすがに至る所にミカン畑がある。
山のかなり高いところまでミカンの木が植えられているのだが、その植栽密度は当然低いので、大雨などで山肌が崩れたりしないものかと、観るたびにいつも要らぬ心配をしてしまう。
さほどの渋滞もなく有田海南と通って和歌山市へ。意外に近いものなのだな。

特に何か用事があって来たのではないので、本願寺の詐欺の森別院を覗き、和歌浦周辺をひと回りして帰ることにした。

詐欺の森は、境内にこそ入れたものの本堂は閉鎖されていた。
マジカルな他の仏教と違って、真宗という宗教は俗人が寺に寄り集まってはじめて成立するもの。どういう警備上の都合があるのか知らないが、その真宗の寺ともあろうものが(しかも本山格の大寺が)、真っ昼間から人を拒む状態にしていてはマズいだろう。法律的にはともかく、寺は私有財産ではないのだ。
確かに観光で観るべき場所ではないので、別院で何か行事でもなければ開けとく必要性がないのかもしれないが、こんなあたりに真宗の生命力が消滅していることが如実に現れている。

和歌浦。
紀州では最北部にあるとはいえ、やはり南海道の風土を強く感じさせる景色だ。
工場などが多くあって風情は良くないが、万葉に歌われ雑賀党の跋扈した場所。
なんせ岬が狭いので、今度来る時は車ではなく電車・バスを乗り継いで、自分の足で歩き回るのが良さそうだ。

最近、紀伊半島の地質とか植生について興味があるので、解説してあるような施設はないだろうか?と思っているのだが、往路「大動脈」を走っていたところ、海南の外れに「自然博物館」というのを見つけた。帰りに寄っていこうと思っていたのだが、近くに行ってみると、夏休みの子ども向けイベントでもやっていたのか駐車場待ちの車が大行列 orz
諦めて素通り。
こんなだったら和歌山を早々に後にせず、県立博物館でも覗いてくるんだった。

|

2007年8月11日 (土)

WILD LIVES(やせいのいきもの)

今日は盆前の仕事納め。
ということで、朝から組合内で「研修会」。
いつもより遅い8時半に集合。

組合の大会議室で9時から開始。
地元の「振興局」の県職員が、小一時間、和歌山の林業の現状と方向性についての話を垂れる。
要するに、「機械化して低コストで林産をしないと生き残れないよ」ということやね。
理屈としてはよくよく解るが、こっちにそんな話をされてもな〜。
全部人力で造林と治山をし続けてきた組織なんだし、機械をどうするかは上の人が決めることやからね。

次いで、伐倒の安全指導ビデオを見せられる。
はい、受け口はちゃんと切ります。安全を確認し、しっかりツルを残しながら追い口を切って伐倒します。上下作業はしません。
それが可能な状況で間伐させてくれるなら。

最後はチェンソー指導という話だったのだが、指導と模範実演をしてくれる筈だった講師役のS翁が今日はなぜか突然の休業(笑)
ぼくらはOG氏の指導を受けてチェンソー取り扱いの練習。他の人たちは土場でそれぞれ材木の玉切り。
時間も40分ほどしか残っておらず、すぐ昼休憩に。
弁当持参ではなかったので一旦帰宅。KR兄を招待して昨晩は手つかずだったカレーを振る舞う。

午後は組合敷地内の草刈りと機械のメンテ。
3時過ぎに終了。

お疲れさま〜、と解散になった後、S藤師が「今日は暑いですから、こんな日こそ川へ泳ぎにいきましょう」と誘いをかけてきた。
今日はぼくも全然疲れてないですから、それは喜んで!!
KR兄も含め車を3台連ねて、組合の(ということはぼくの自宅の)すぐ下を流れるH川の川原に繰り出した。

この辺りはちょっとした川遊び観光エリア。
すぐ傍に住んでると価値をあまり感じないのだが、少し上では鮎釣りが盛んで、一応「清流」ということになってるらしい。確かに水は「うつくしい」。
川原には多数の家族連れが来ていた。和歌山ナンバー(ほとんどが「村」外エリアからだろう)が当然多いのだが大阪ナンバーや和泉ナンバーも。テントを張ってキャンプ態勢を整えている人たちもかなり居る。
そんな中へムサい男たち3人がズカズカ入っていって、作業服の上を脱ぎ(さすがにパン一にはなれなかったw)、川へドボン。
結構異様な存在に映っただろうな。

一度対岸まで往復し、仰向けで流れに身を任せてしばらく下り、浅瀬で胸まで水に浸かって座り込み雑談。
なかなか気分が良い。
いつかライフジャケットとゴムボートでも買って川下りをしてみたい。どんだけ楽しいだろう。

というものの、泳いでみて、やっぱり川は結構怖いな、とは思った。
見かけと違って流れが結構速い。流れの中央付近で進む向きを間違えると、いくら必死こいてもまったく進めなくなる。
浅瀬(膝下水位)を歩いていると2〜3歩の間にいきなり水深が増し、大人でも足が付かなくなる。対岸の岩場沿いでは5mくらいあるらしい。
水温は、普通に浅瀬に居る分にはかなり高いのだが、対岸に「Iの川」(除伐に行ってる地区を流れてる沢)が流れ込む口があるので、そちら側に行くとめちゃめちゃ冷たい。
多少は泳げる自信があるので気分的に落ち着いて居られたため、別に危険を感じた訳ではないのだが、こういう場所で慣れない人が何かの拍子に慌てると、一気に流されて溺れるのは確実。

川から上がると体も程よく冷えていた。
なぜかお肌スベスベw
このH川流域では温泉が皆重曹泉なのだが、川の水にもそういう成分が含まれているんだろうか?

とりあえず今度泳ぎにいく時は、海パンはいてゴーグル持っていこう。
作業ズボンでは沈んでしまって泳ぎにくいことこの上ない。

|

2007年7月21日 (土)

山環境との戦い

「企業の森」下刈り3日目。

昨日の夕方から雨降り。
天気予報と空の様子から、昨日の段階で今日の仕事はダメくさいと踏んでいたのだが、夜明けに上がり6時を回る頃にはかなり明るくなってきた。
気分が半ば雨天休業モードだったので、ちょっと残念だったりする。休めば無給なのだから、雨天続きで困っていた先週までのことをすっかり忘れているアホが居りまんな。

ともあれ、「あ、これは山だな」となったので、いそいそと麻婆茄子豆腐で弁当を仕立て上げた。
雨で休みならもちろんだが、組合土場仕事でも昼に車で1分走って帰れば良いので弁当は不要なのだ。

7時半の時点で組合のある村中心部はどんよりとした曇り。
足場悪いと見たのか自主休業が、OK班長を始め5人。FN氏が点呼をとり、おのおの出発。
現場まで向かう途中に、かなりの勾配を上がるK峠があるのだが、その峠の鞍部付近を貫く短いトンネルを抜けるとその先では山にかなりガスがかかり、今にも雨が降り出しそうな空。さすがは山間地。

で、現場に着いて準備をしていると雨。
が、そのまま帰るのは悔しいので空を眺めつつしばらく待機し、小止みになったのをみて上がる。
とりあえず午前中はそのまま無事作業できたのだが、昼に下りて休憩後「さて午後始めよか」と腰を上げた拍子にまた雨。
で、同じく帰るのが悔しいので、再び雲行きを眺めつつしばらく待機。
そこそこの降りなのだが、雲が薄くて向こうは明るいし、流れも速いようだ。
15分ほど待つと雨が弱まり、上がる。
作業を始めてしばらくすると雲がすっかり晴れて、今度はカンカン照り。
もう蒸すわ蒸すわ。
へろへろになって一日が終了。

まあ、それでも、そこまではどうということもなかったのだ。
問題は帰宅後、風呂に入った時のこと。

背中に手を回すと、何やら固いものが触れる。
小さい何かが張り付いてるようだ。
体や服にオナモミみたいなのの実がまとわりついてることはよくあるので、それかと思って軽く取ろうとしたのだが、取れない。体に食い込んである。
「何だ?」と思って強くつまんで引っ張ると、ピリッと痛みが走って「それ」が取れた。
パッと見、小さいトゲのある実のようなのだが、よく見るとトゲではなく脚。よくよく見ても身動き一つしないのは不思議なのだが、これは虫だ
あれっ、これは〜!!と思って全身を探ると、さらに腰、右腕と右腿にも・・・
食われた痕は周囲が赤く晴れて齧り込まれたところがえぐれて傷になっている。

たぶんあれだろう、とアタリをつけてググルと見事に的中。
そう、こいつらはマダニの連中。
動物の皮膚に食い入って、勝手に血を吸い続ける不届き千万なヤツら。

その時は動揺してその場で全部剥ぎ取ってしまったのだが、調べたところ、引きちぎったりすると下手をしたらヤツらの頭が皮膚内に残って化膿するかも、などと書いてある orz
しかも感染症の恐れありとか orz
潜伏期間が10日から2週間ということなので、何かヤヴァいものに感染していたら、その頃に高熱が出る筈(笑)
体調の変化に充分注意をしておこう。

刺してかゆいだけならダニも許せるのだが、こいつらだけはホンマにもう。

|

2007年7月19日 (木)

自殺行為w

今日から村内某所にある「企業の森」の下草刈り。

「企業の森」というのは、和歌山県(檻の中の前知事)が始めた山村振興策みたいな取り組み。山主から土地を借り上げて、企業から資金を出してもらって苗木を植栽・保育して森林を保護するということらしい。
この村にはそういうのが2カ所あるらしく、ぼくらは、もう1カ所の方の草刈りにもこれの後入るという話。
ともあれ、この方式なら県や山村の側はただで山の手入れが出来るし、企業の側は「環境保護への取り組み」という錦の御旗を立てることが出来る。で、たまに「企業」関係者がやってきて、ちょっと手入れをし「自然体験」を楽しめる、と。

ぼくがこっちに来て早々の頃、その「森林保全ツアー」が来るということで、はるばる都会から草を刈るためにお越しになる「環境保護」に熱心な「企業の皆様」の足元を確保すべく、ぼくらがこの「森」の登り口歩道の草刈りをさせていただいたことがあるのだ。
が、惜しくも「企業の皆様」の熱意は届かず植栽地の雑草の方はさっぱり刈れていない。
ん〜、というか「最近誰かヒト入ったことあるの?」という状態。

で、作業にかかったのだが、これがなかなか手間取る。
この山はかなりの急傾斜な上、崩れやすい泥岩がゴロゴロで足元がひどく悪い。
植えてある苗木は、ざっと見たところでどうやらクヌギとコナラとサクラ。サクラはともかく、クヌギ・コナラは雑草に完全に圧倒されて立ち枯れ続出。
いちいち機械を止めて鉈で雑草をかき分け、枯れ枝みたいな苗木の痕跡だけでも残そうと奮闘(金出させてる以上は、ね)。
「一つの苗から大きな森林へ」とかメッセージを書いた札を苗木につけてる人が居るけど、肝心の苗は既に逝ってますがな。
いいのか?こんなんで?!

こういう仕事に就いて居てこういうことを言うのはなんなのだが、ぼくは、世上喧伝される「環境保護」というメッセージを、ひどく胡散臭いモノだと考えている。
全森連などが林業を「環境を守る仕事」などと宣伝するのも、片腹痛い話だと、以前からずっと思っている。
本当に「森林」を保全したいなら、森や木それ自体の力を信頼して人間が下手な手を加えないのが最良の道だと、ぼくは思う。
だって、実生やヒコバエでムクムク出てきている「雑木」の若木をガリガリ伐りおとして、枯れ枝状態の植栽を残すなんて笑止千万だろ?

この紀州みたいな温暖多雨な土地、無理繰りコナラなんか植えずに、ちょっと山をほっといてみろよ。
そのうち、それはそれは見事な照葉樹の大森林ができっから。

|

2007年7月18日 (水)

ウバメ捨て山

今日でT川の下草刈りが終了。

現場の最上部、尾根筋の向こう側は雑木林になっていたのだが、ふとみると結構大きなウバメがたくさんある。
OG氏に訊くと、もともとは備長炭用に植栽されたもの。ところが、伐り出すコストの面で合わない場所のものは放置されていってるのだという。で、炭焼きさんたちは村の外、周辺の山へウバメを伐り出しにいくらしい。
確かに、架線を張って出したらえらいコストがかかるのは間違いない。かといってまさか担いで引きずり下ろす訳にもいかず。
ウバメみたいな成長の遅い木があそこまで大きくなってるのに、と思うと何となくもったいない気がするが、ふと思い返すと元炭焼師のS翁は、「ンマメのそない大きいなったヤツはあかんねん」と言っていたな。
太い枝や幹は、割って炭にしないといけないので、それよりは長さだけ切り揃えて炭にし、元の形を残したまま出荷できるサイズの方が良いらしい。なるほどだな。
ちなみにウバメガシは「樫」といいつつ、他の樫とは違ってコナラにより近いものらしい。
幹を見れば一目瞭然だ。
でも、葉っぱの感じは樫っぽい(小さいけど)。

それにしても、約6段(らしい)の山に対してOG氏と僕ら2人で4日稼働。
普通の作業班に比して倍の時間がかかっているのだな。
まあ経験値の問題なのだろうが、現状は即死モードだ orz

先日からNN氏に現場写真の整理作業を打診されていたのだが、あれこれ調べた結果、渡された安デジカメはやはりMACのOSには対応してない。
フフフ、無理だな。これで何の後ろめたさももなく断れる。
受けるだけ損な話だけに、「でかしたポリたん」(笑)
しかも太古の窓ノートはUSBに対応しないし、完璧だ。

|

2007年7月16日 (月)

フィッシャーズ・ハイ

今日は海の日ということで、海に行った。
かねてからの約束通り、S藤師に海釣りを習う。

朝、S藤師に電話をして打ち合わせ、KR兄と共に10時頃師宅に集合。
小一時間、師と怪しい話題で語り合ったあと、3人でサンバーに乗っていざ海へ!!
天気は上々。師によれば釣りをするには良すぎるくらいだという。

川を下って30分、「街」の海岸へ。
釣り糸を垂らすにふさわしい時間帯は夕方近くなってからだという師の言を受け、サンバーは、そのまま煌めく海を眺めつつ入り組んだ海岸線を走るワインディング・ロードをドライブ。師が常々宣うように、確かにこの場所はむさくるしい野郎3人の乗った小汚い軽バンが走るべき道じゃあない。
が、それはそれとして、ずっと海岸線沿いの道を走っていく中で、一つ山を越すと入り江と集落があり、またすぐに山に入るというのは、いかにも、険しい山が海のすぐそばまで迫る、この紀州という「クニ」らしい風景だと感じられる。
考えてみれば、山村に暮らして山仕事をしている我々が、30分強でこんな場所をうろつけるというのはすごいことだ。もしも研修の仲間たちと共に群馬に就業していたら、こんなことはあり得なかっただろう。
やはりこの「クニ」は素晴らしい。
難点をあげるとすれば、ここには「山も海もある」のではなく「山と海」しかないことなのだが(笑)

とある漁港に車を止めて、岸壁で釣り糸を垂れると、なりは小さいものの、アジやサバがウジャウジャ釣れる。
3時過ぎからチンタラと釣りをして7時過ぎに引き上げたのだが、帰ってから数えてみるとアジが210・サバが25、その他が15匹釣れていた。
しかも、師は大物狙いで別の釣り方をしていたので(あいにく場所柄が悪く釣果は僅か)、大半はほぼ完全初心者のぼくとKR兄が釣ったもの。
ホクホクしながら、というより、その後さばいて食材にすることの手間を考えると多少憂鬱にすらなりながら8時過ぎに撤収。あちこち寄り道をし、師宅で簡単な魚さばき講義を受けてから9時過ぎに帰宅。
疲れた体にむち打って、1時間半ほどかけ100匹近い魚をさばいたのだが(ワタは次回の釣り餌用にしっかり冷凍保存)、気が遠くなるようなその作業の中で「食べること」の大変さを思い知った。

楽しかったけど疲れた1日だった。
明日、しっかり仕事できるのだろうか?

|

2007年7月 5日 (木)

炭焼く煙

夕方、山からの帰り道のこと。
組合の近くまで来たところ、開け放ったサンバーの窓から何かを焼く匂いが入って来た。
焦げ臭く、やや酸っぱい匂い。
田んぼのわらを焼くにはまだ早い、どころではないし(近くの棚田では今まさに稲がメキメキ伸びている)、何だろう?

隣に座る師範代のOG氏に聞くと
「お〜、あれはお前、炭焼いとんのよ。備長炭。この向かいに窯あってな」
正直、「しもたー」思いましたな。

何を隠そう、ここは「備長炭」日本一の生産量を誇る炭焼きの里(「あの」萌えキャラは居ないのだが)。
道を行けばあちこちに炭焼きの窯があり、山の生き神様である師範のS翁も、若年の砌、炭焼き師であらせられたのだ。

以前、KB元専務に聞いたところによれば、いわばIターンで炭焼きさんの修行という道もあるにはあるそうなのだが、その厳しさは並じゃないらしい。
師匠に付いてまるまる一年間無給で修行、その後いきなり独り立ちして炭焼いて食っていかねばならないような現状だそうで・・・。
本物の炭焼き師には憧れるけれど、自分の現状では、まず経済的に到底無理。

でも、ここで山に入る暮らしを続けていく中でなら、少しずつ炭焼きの縁を探していけるだろう。
本物の炭焼き師になるか(なれるか)どうかはともかくとして、いつの日にか小さな窯を作って、自分でウバメを伐り出して、炭を焼く。
これが、今のぼくがさしあたりいだく夢である。

という思いに駆られつつ家に帰ってみると、洗濯機が逝ってる。
水栓が機能せず、洗濯槽に水が溜まらない。注いだ水がダダ漏れ状態。
このところ雨続きで洗濯物は溜まり放題だった折も折だし、仕事に出れば毎日の洗濯物はかなりな量になる。
とりあえず今日のところは洗濯機の外装を開けて自分で修理に挑む気力が無いし(挑んだとして、そもそもうまくいく保証はゼロ)、メーカーに頼むなら買った方が安いのは確実だろう。
明日の夕方、街の家電量販店に駆け込んだとして、配達してもらって洗濯機が使えるのはいつになるだろう?
サンバーで運ぶことはできても、古いヤツの処分に困るだけだし。
非常に困ったことになった orz

|

2007年7月 2日 (月)

野生の王国

別に驚くようなことではないのだろうが、この辺りにはそれこそいろんな生き物が居る。

しばらく前のある晩、村エリアのドライブに出かけた挙げ句道に迷って、どこかの山麓/どれかの川っ縁の細い道を走っていた時、それはそれはよく育った大きなシカ2頭に出くわした。植栽地の下草刈りにいくと樹皮や苗木の先がかなり食べられてるし、田畑も多いので、あの人たちは食べる物には全く困ってないのだろう。イノシシやカモシカも居るらしいのだが、その手の人たちにはまだ出会っていない。

リスもタヌキもうろちょろしてる。
梢にはえらく調子っぱずれなウグイスが居たり、岩伝いに谷川を渡るとサワガニが逃げていく。
観に行ってはいないのだが、川を少し遡ればホタルがウヨウヨ居るらしい。観光客寄せのホタルだのカブトムシはどうでも良いので、ぼくとしては早くクマゼミの声を聞きたいものだ。

・・・と、こういう類いの生き物が居るだけなら「ああ素晴らしい自然」で済むのだが、まあ、それ以外の生き物もたくさん居る。

今日は、作業を終えて山を降りてくる時にヘビがニョロニョロと逃げていく後ろ姿を見た。しばらく前には、車で仕事に向かう途中、道を横切る体勢で長々と1.5メートル近くあるヘビが寝そべっていて、えらく困ったことがある。そのまま進めば踏んでしまうし、ゆっくり近付いても動いてくれない。気の迷いか何かで、草むらから焼けたアスファルトの上に出てしまって、乾上がりかけだったのかも知れない。なんとかタイヤの間を通して行き過ぎようと思ったのだが、無理だった orz

草を刈っていて、いかついハチの人に「こっち来んじゃねえぞ、ゴルァ!!」ダンスを踊られること既に数回。
幸いにして友好関係に決定的な破綻をきたしたことはないのだが、見慣れない奴が轟音とともに近付いてくれば、その地に以前から住む人たちが不快に感じ警戒もするだろうことは、当然の理。新参者は地元の人にしっかり挨拶しておかねばならないとを認識した。
そこで、先日は服の泥とともに山のダニの皆さんを新居に招待し、生き血を振る舞って夜を徹した大宴会を開催したのだが、その結果評判が上がったのか、ここ数日は夜な夜な手のひらほどもあるクモが部屋を訪れてくれるようになった。
ちなみに、川の対岸にある村の中心地へ渡る橋は、事実上夜間通行止めである。なぜなら、周りの薮から蛾がワラワラ集まって、視界が悪くなるほど多く飛び交っているから。

ぼくにとって「隠り国」熊野の地・紀州は、生命の息吹に満ちた日本的アニミズムを象徴するような土地。
こうした生き物に取り囲まれた日常生活こそ、とりもなおさずその一端を満喫していることなのだ、と考えておこうと思う。

|

2007年6月27日 (水)

炭焼党設立顛末

かねてからの念願だった紀州への移住。
今月の上旬某日、それを遂に果たした。

現在の居住地は紀州中部の某所。
ほどほどの山間。しかも車で20分ほども走れば郊外型店舗の乱立する某市に出ることができるという、生活の利便という意味でも手頃なエリアではある。
同じ距離感のところに、海もある。地図を見ればわかるように、このクニで「街」があるということは、つまりそこに海があるということなのだ。
南北東西ともに、このクニのど真ん中と言えるような場所なのではないだろうか。ちょっと足を延ばすつもりで出かけていけば、熊野一帯・南紀の串本白浜・高野山、そしてもちろん和歌山市。県内どこのエリアにでもかなり気軽に行って帰って来られそうだ。

ともあれ、今現在ぼくはそういう土地で暮らしている。

かねてからの目論み通り、そういう場所で山に通って生計を立てていくということになったのだが、それにしても4月以降いろいろなことがあまりにもうまく運んで、あれよあれよと言う間に現在に至ったという印象だ。
勤めていた会社を辞めたのは昨年度末。
わずかな期間暇つぶし的に気楽な日雇いバイトをやり、4月から5月にかけてひと月ほどの間、某講習に参加した。
その期間中に当地で面接会があったので、様子見程度を覚悟で(関西への小旅行を兼ねて)参加したところ、翌週になって何の間違いか採用の報せ。
こちらでの生活を成り立たせるために大枚15万円はたいてガタピシ車マツケン・サンバーを買い、引っ越しの算段をつけ、とバタバタやってるうちに5月が終了。
引っ越して仕事が始まり、気付いたらもう6月も終わろうとしている。

部屋もすっかり「自分の根城」として落ち着ける場所になったし、こうしてネットも繋がった。
この上げ潮から滑り落ちぬよう、せいぜい頑張ってみようではないか。

|

2007年6月26日 (火)

シュトゥルム・ウント・ドラング

前回の日記を書いてから、約80日。これまでの生涯に無い、ハイテンションな激動の日々だった。
いよいよここに炭焼党の設立を宣言する日を迎えられたことを嘉したい。

詳細は追々。

|