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2008年3月11日 (火)

スーギ氏

15キロほど川下にあるアメダス観測点の気温データをみると、今日14時には19.7℃。
見渡す山々にはうすぼんやりと春霞がかかり湿度もかなりあった様子。
辺りのスギはすっかり枝を黄色くして、完全に発情モード。
こりゃ花粉が相当飛んでるだろうなと思うのだが、幸い目も鼻も何ともない。
とりあえず今年もスギ花粉は無事クリアしたようなので、ひとまず安心だが、去年のちょっとした経験から、ぼくの場合アレルギー出るとすればスギよりヒノキなのではないかと勘ぐっているので、まだ油断はできない。

ちなみに、スギとヒノキはしばしば一括りにして扱われてるし、立ち木をみてそれぞれ識別できない人も意外に多いのじゃないかと思うが、実は結構、というか葉や幹ぶりの見た目も、材の質も匂いも全然違う。
だから、ちょっと見慣れれば遠目に見ただけでその山にスギとヒノキのどちらが植えられてるのか、すぐわかる。
その辺の話はまた今度。

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2008年3月 9日 (日)

植樹イヴェント

今日は、先日から「地拵え→ネット張り」に大わらわだったヒガシタニで植栽のイベント。
ということ出勤。そういや、ここんとこ日曜に休んだことがないなw
朝から苗木やクワなどの道具を現地へ運ぶ。

来ているのはどこぞの自然保護ヴォランティア団体らしい。総勢16名様。
10時頃からぼちぼちと始め、途中、伊予柑が配られてのんびり座り込む休憩を挟みつつ、昼過ぎに記念の標柱を立てて作業は終了。その後、村中心部の観光施設?に移動してトンカツ定食で昼飯。この事業には「森林保護」名目の税金やら、企業からの献金が結構注ぎ込まれてるらしいんだが、この飯もそっから出てるんだろな。

それでも6段ほどの植栽地にクヌギとヤマザクラが計800本植わったのだが、たった6段つったら10数町あるこの伐採跡の禿げ山にとっちゃ何分の一よ?

しかも・・・、ちゃんと植わってねえっすよ orz
根っこ浮きまくり。
これじゃ苗木としても生きてくのが辛いよ。
ただでさえ石ゴロゴロで急傾斜なこの場所。
クヌギとかの穏やかな地面が好きな広葉樹には厳しい環境なんだから、せめてしっかり地面を掘って放り込んでやろうよ。
やつらも生あるものとして精一杯生きようとしてるんだから、その命を尊重してやろうよ。
まあ、地面が固くて小さいクワではなかなかしっかり掘れないのはわかるけどさ。

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2008年3月 5日 (水)

防人フェンス

組合仕事で、「ヒガシタニ」というところの植栽予定地の周囲にフェンスを張りに行きはじめた。せっかく苗を植えたところに、シカだのイノシシ・ウサギがひょいひょいとやって来て、美味しくいただかれてしまわないようにする「防獣フェンス」である。

で、本題。
このヒガシタニというところは、うちの村では今やちょっと珍しい「皆伐」跡地である。スギ・ヒノキが植えてあったのを何年か前に全部伐り出して素っ裸にしてしまった状態なのだ。
元から岩ゴロゴロな山だったらしいのだが、禿げ山になって表土が流出したのもあって、かなり殺伐とした風景。
そういうところを緑の山に蘇らそうというのが今回の事業の趣旨らしいのだが、あんなところにクヌギだのサクラだのが根付くのかどうか・・・。
まあ、この事業そのものはどうでも良い話なので、脇におく。

こういう伐採や、山土崩壊・山火事で植生が大きく攪乱された後の、植物にとって落ち着きにくい荒れ地(舗装道路沿いなんかは恒常的な荒れ地ということになる)に最初に生えてくるヤツらを先駆性の植物という。
このフロンティアたちは、他の植物が定着できないような荒れ地に取り付き、自分らの楽園を作ろうと世代を交替しながらだんだん足元が良くなってきたところで他の(より大きな背丈になる)植物に入り込まれて頭を抑えられ、結局自分らは住みづらくなってしまう、という、労多くしてなんとなく虚しい役回りを果たしている。
で、これが今日のポイントなのだが、こいつらはどういう訳かかなりの確率で強烈なトゲを備えてガッチリと武装している。

ヒガシタニは、単に伐採跡地というだけでなく特に土味の少ない岩ゴロゴロな山なので、その分植物にとってはより不快な場所。重武装したフロンティアたちにとっては格好の活躍エリア。
以前ここに測量にきた際のこと。ヒガシタニには林道が通っているのだが、その法面を山側に上がろうとすると、行く手にはまるで山への立ち入りを拒むかのように盛大なイバラの群落が。繁茂したジャケツイバラの凶悪な突撃にあって、ズボンはビリビリ・手足はトゲ刺しだらけの血まみれという酷いことになった。

ぼくにとって山の師であるS藤師は、常々「山には意思がある」と宣うのだが、この時ばかりは本当にその言葉が腑に落ちた。
山は、荒らされるとイバラのフェンスを張り巡らし、いっとき動物の立ち入りを拒む。で、草本から低木、さらに高木、と定着する植物が増え、植生が動物による攪乱に耐えられるようになってくると、「さあ、もう入ってもいいよ」とばかりにフェンスを取り払い再びその恵みを動物に分け与えるようになる。
そこで行われているのはただ光を求める植物種同士の生存競争ではあるのだが、山トータルのメカニズムとして考えてみると、思わずそんな擬人化をしてみたくなるような、精妙な仕組みなのだ。

それにしても、ジャケツイバラはなぜあんなに凶悪なのだろう?
動物を捕まえて獲って食おうというのじゃあるまいし、何もトゲに「かえし」まで付けなくても良いだろうにw


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2008年3月 3日 (月)

ジン花開く

部屋の前に無造作に置いてある鉢植えの沈丁花。
こいつのことは「ジン」と呼んでいるのだが、実にタフで健気なヤツである。
水やりを忘れて土がカラカラになったまましばらく放置されたり、足元には雑草が伸び放題だったり、そりゃもうひどい扱われ方。
が、そんな非道い待遇にも負けず、このジンは冬の間に着々と蕾を膨らませ続け、今日ついに最初の花を開かせていた。

鉢に近付くとフワ〜っと漂う匂い。
ああ、春が来るんだ。

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2008年3月 1日 (土)

サル智慧

「言われてみれば」「考えてみれば」当たり前のことながら、日々ぼんやりと生きていると気付かぬままで居ることになるような事柄というのは意外に多い。
組合で飼っているお猿ことOK氏(元班長)が極めて聴取困難な紀州言葉で語っていた「山の仕組み」の話は、ぼくにとってまさに、そんな「目からウロコ」な話だった。

まず、その辺にある「普通の山」の姿を思い浮かべていただきたい。急いで言っておくが、ここで、間違っても富士山の山容はイメージしないこと。
一般に、山というものは円満な形をしてはいない。つまり、幼稚園児が砂場で作る山、「すり鉢をひっくり返したような」形のそれではない、ということだ。だからこそ、逆にそんな形の山があると「神奈備」として崇敬の対象になってきた訳だが、それは今はどうでも良い話。
「山の形」というのは、それを模式的に表現するなら、「分厚いヒトデ」みたいなものになる。
ひとつの頂上があれば、それに向かう丘筋がいくつかあって、そのあいまには谷が深く切れ込んでいる。ヒトデで言えば触手が丘筋に当たる訳だ。
で、本題。
ザックリ言って、丘筋は岩盤質で地面が固いのだ。
それに対して、谷あいは赤土などの柔らかい地盤であることが多いのだ。
言われてみればその通り。地質はもとより植生だって違う。

考えてみれば当然のこと。
もともとは、それこそ「子どもが砂場で作るような」円満な山であったものが、岩盤で固い部分が浸食に抗して丘筋として残り、「土」質のところがえぐられ谷になり今に至っている、というだけの話。
でも、ぼんやりしていては、山の中を歩き回っていてすら気付かないこと。
実際大した話ではないし、当人にとってみれば語るに値しないようなことなのだろうが、聞く側にとっては「そうだったのか!」という驚きに満ちた話だった。

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